2010年3月6日土曜日

和歌浦の掘割より名草山を望む



夏目漱石「行人」より

 その明くる朝は起きた時からあいにく空に斑が見えた。しかも風さえ高く吹いて例の防波堤に崩ける波の音が凄じく聞え出した。欄干に倚って眺めると、白い煙が濛々と岸一面を立て籠めた。午前は四人とも海岸に出る気がしなかった。
 午過ぎになって、空模様は少し穏かになった。雲の重なる間から日脚さえちょいちょい光を出した。それでも漁船が四五艘いつもより早く楼前の掘割へ漕ぎ入れて来た。


奠供山と東洋第一エレヴェーター





夏目漱石「行人」より

朝起きて膳に向った時見ると、四人はことごとく寝足らない顔をしていた。そうして四人ともその寝足らない雲を膳の上に打ちひろげてわざと会話を陰気にしているらしかった。自分も変に窮屈だった。
「昨夕食った鯛の焙烙蒸にあてられたらしい」と云って、自分は不味そうな顔をして席を立った。手摺の所へ来て、隣に見える東洋第一エレヴェーターと云う看板を眺めていた。この昇降器は普通のように、家の下層から上層に通じているのとは違って、地面から岩山の頂まで物数奇な人間を引き上げる仕掛であった。所にも似ず無風流な装置には違ないが、浅草にもまだない新しさが、昨日から自分の注意を惹いていた。
はたして早起の客が二人三人ぽつぽつもう乗り始めた。早く食事を終えた兄はいつの間にか、自分の後へ来て、小楊枝を使いながら、上ったり下りたりする鉄の箱を自分と同じように眺めていた。





この宿も、東洋第一エレヴェーターも、今はもうありません。
宿だった場所には少し前までカフェがあったのですが、今は住宅設備会社となっています。

昔の様子を写した写真がこちらの方のブログに載っていました。
今の様子と比較してみると面白いです。

こちらにもあります。

2010年3月5日金曜日

紀三井寺のベンチ



夏目漱石「行人」より

夕方になって自分はとうとう兄に引っ張られて紀三井寺へ行った。これは婦人連が昨日すでに参詣したというのを口実に、我々二人だけが行く事にしたのであるが、その実兄の依頼を聞くために自分が彼から誘い出されたのである。
自分達は母の見ただけで恐れたという高い石段を一直線に上った。その上は平たい山の中腹で眺望の好い所にベンチが一つ据えてあった。本堂は傍に五重の塔を控えて、普通ありふれた仏閣よりも寂があった。廂の最中から下っている白い紐などはいかにも閑静に見えた。
自分達は何物も眼を遮らないベンチの上に腰をおろして並び合った。
「好い景色ですね」
眼の下には遥の海が鰯の腹のように輝いた。そこへ名残の太陽が一面に射して、眩ゆさが赤く頬を染めるごとくに感じた。沢らしい不規則な水の形もまた海より近くに、平たい面を鏡のように展べていた。



2010年3月3日水曜日

観海閣





玉津島神社の東側に小さな島(妹背山)があります。
観海閣はこの小島の水辺に建っています。
紀州初代藩主の徳川頼宣が建立したもので、
現在の建物は第二室戸台風で倒壊した後に復元されました。


位置


奠供山より紀三井寺を遠くに望む



夏目漱石「行人」より

 そこは高い地勢のお蔭で四方ともよく見晴らされた。ことに有名な紀三井寺を蓊欝した木立の中に遠く望む事ができた。その麓に入江らしく穏かに光る水がまた海浜とは思われない沢辺の景色を、複雑な色に描き出していた。自分は傍にいる人から浄瑠璃にある下り松というのを教えて貰った。その松はなるほど懸崖を伝うように逆に枝を伸していた。


***

下り松は妹背山(観海閣のある小さな島)にありましたが、今は無くなっています。
この写真では妹背山は見えにくいので、鏡山から撮影したものを下に載せます。

位置的には西側から東側に、奠供山−鏡山−妹背山、の順になっています。






左端の小さな島が妹背山です。
その地面が見えているあたりに下り松はあったようです。

こちらに当時の写真がありました。

東照宮の石段





夏目漱石「行人」より

ようやく権現の下へ来た時、細い急な石段を仰ぎ見た自分は、その高いのに辟易するだけで、容易に登る勇気は出し得なかった。兄はその下に並べてある藁草履を突掛けて十段ばかり一人で上って行ったが、後から続かない自分に気がついて、「おい来ないか」と嶮しく呼んだ。自分も仕方なしに婆さんから草履を一足借りて、骨を折って石段を上り始めた。それでも中途ぐらいから一歩ごとに膝の上に両手を置いて、身体の重みを託さなければならなかった。兄を下から見上げるとさも焦熱ったそうに頂上の山門の角に立っていた。


2010年3月2日火曜日

満月の名草山


章魚頭姿山の中腹より

津波の警告が出ていましたが、特に影響はなかったようです。
三脚が無かったので手持ちで撮影。